詩 都会交響詩    鈴木政輝

高級車の深紅(くれなゐ)の座席(シイツ)は輝く許り美しい、
豹なぞの外套に華車(かぼそ)い体を防護して、
悠々と細巻金口煙草を指先に、
安座する貴婦人は勝利者の様な威厳を保つ、
プロペラの唸りのやうな唸りを生じ、
浜街道を透明になつて疾走するとき、
日本の資本文化の並々ならぬに感歎する。

本所区花町ルンペン・ホテルの宮殿で、
夜毎に霧にネオンが放射し、
大都会の片隅町に澱(よど)み瀦(たま)つた人々に。
歴史の実体は御身に在りと物語る。
畜生・何言つてやがる!
プウツ一杯飲んでオドをあげよう!
青酸加里をウイスキイに入れて売つて呉れ!

東京なぞへ来るんぢやなかつたよ、
来てしまつたから仕様がないものね、
遁(に)げよう帰らうと思つてるんだよ、
でも沢山衣装やシヨウルを買はされてしまつてね、
身動きがとれないのさ、煙突の様にね、
それですみだ川のむかうの浅草が夜のこと、
泣いて酔つて絹の布団にねてしまうのさ。

折から会社員はカラアを裏返しに着ける。
弁当箱を入れた鞄を大切に抱へてゐる。
地下室の酒場(バア)のムッとする匂ひの階段の途中、
でも、はや造花の桜や、
交錯した電光の硝子管、
彩り濃くレヴユウ舞台の演技的な表情の、
擬似令嬢(ぎじれいじやう)の圧力に陶然となる。

芸術や科学の天才共は、
垢染みた十九世紀的熱情の長髪を、
深夜の外濠のあたりの風になびかせ、
握り太の籐の洋杖(すてつき)で、鋪道を叩きつけ、
ヴアレリイを論じ量子論を戦はし、
いつしか長駆して橋を渡り、
支那服を着た売春婦の街をうろついてゐる。

また芸術や予言の鬼才達は、大膽不逞の眼光(め)を薄く長く開いて、
帝国ホテルのビヤホウルで三鞭酒(しやんぱん)を飲む。
左手を懐中(ふところ)に右肘を卓子につき、
MCCの金口太巻煙草(シガレツト)を傲然と喫(の)む、
懐内の財布に十円の紙幣(かね)も無いのだが。
ハイデラバアドの王者の様な太々(ふてぶて)しさで。

また芸術や倫理の光芒燦たる青年等は、
大英国(ブリテン)の社交場裡の
花と媚を競ふ貴婦人や紳士の群に。
象牙海岸などの奴隷開放を説いた様に。
貴族院議員のサロンで、
無所有の哲学を説き、
嫁入前の姫君達に農村と工場の意志を告ぐ。
かうした夜の極彩色の液体に、
俺の意識が染色され!
俺の認識が俺自身の存在を禿鷹の様に喰ひ散らすとき、
西比利亜や蒙古あたりの赤軍も腐敗して、
だんだんと毛布にくるまつて、
拳闘家(ぼくさあ)の様に眠くなり、
女も男も背中を向け合ひ熟睡したら。

もはや神宮の太鼓はどゝゝゝゝと鳴り渡り、
代々木の杜の鴉共は曙光(あかつき)の茜雲(あかねぐも)に舞ひ上り、
木鼠(りす)達は枝幹を噴水のやうに上りまた下る。
そして神が爆笑する様に
明るく、爽快に、工場の汽笛が伝はり、
新大橋の欄干に掌(て)を置いて眺めると、
視よ、聴け、資本文化は活躍してゐる。
視よ、聴け、満々と大川に、
溢れ漲る東京湾の潮の流れのその歌を、
溢れ漲る労働者達のそのドタ靴の跫音を、
大いなる歴史を刻む威厳に充ちた行進曲を、
鉄屑は火花となつて顔にぶつかる接吻(きす)をする、
ジーンと廻る車輪は透明透かして見れば。
世界がはつきり見えるけれども潜つて行けない触(さは)れもしない。

噫、深奥な神の様な世界である。

地中海の周航も終へて帰朝したのだ。
さうねえアムステルダム和蘭銀行が安全よ。
アムステルダム和蘭銀行に預金遊ばせ。
ソヴイエツトから林産物の販売権を、
あたくし等の手に獲得致し度いものですわね。
よう御座んすとも、運動資金ならいくらでも。



引用元の註では生没年不詳となっている鈴木政輝。アナキズム系の詩人ではないことは確かである。
今月中旬に某研究会に呼ばれ、大逆事件大杉栄金子文子に関して話をすることになっている。その研究会のメンバーは「普通の」社会人の集まりで市民運動とも日頃無縁な人たちである。いきなり幸徳秋水大杉栄金子文子たちの話だけをしても受容されにくいことが予期される。そこで「東京」の変遷ということをサブテーマにすることにした。
最近の「記事」に「東京」に連なるデータがアップされるのはその準備もある。