中浜哲は4月15日午前10時に絞首された。「遺言により布施弁護士は 16日夜半遺体引き取りに赴いた」 と 17日の大阪朝日新聞は報道。中浜の親戚でもあった秋山清の調査によると遺骨は兄弟と従兄弟が引取る。宮本三郎は当時を回想し「中尾正義が暫くして福岡の中浜の兄を訪ね、富岡家の墓に埋葬の中浜を墓参」としている。中浜は大阪刑務所北区支所の独房で詩や回想記の執筆を進め、著作集が冊子として文明批評社から 25年12月に刊行。

処刑後、刊行された『黒闘』に、同志による中浜追悼詩が掲載、「ギロチンの露と消えたる中濱の遺骨を圓る黒旗のむれ」 「黒旗と髑髏とスパイが入り亂れている同志補縛の夜の光景」 と描写され、『黒色青年』には「 5月初旬、関西黒旗連盟の成立、『浜哲死刑執行前後』なる一報告書と、その宣言書」「 5月14日夜、<鐵君の追悼会>黒旗青年18名の20日間拘留と大阪追放」と報告がある。判決後から検束という暴圧が繰り返されるなか関西の同志たちは中浜の追悼を貫き運動を再編した。