錦江から芙容峯を望む。

 金子文子が入水自殺を考えた「白川」。冬で水量が減っていますが昨年七月はかなりの水量でした。
 河原から支流を越えたとき浅瀬を選びましたがズブズブとはまり踝下まで水没。やや冷たし。
 河原の枯れ水草を巣に下した鳥や崖地の枯れ枝に休んでいた鹿が私が歩くと飛び出したので驚きました。徒歩で河原に降りたり崖地を上がる人間は冬場には居ないからでしょう。

「白川へ! 白川へ! あの底知れぬ蒼い川底へ……」……
そう思うと私はもう「死んではならぬ」とさえ考えるようになった。そうだ、私と同じように苦しめられている人々と一緒に苦しめている人々に復讐をしてやらねばならぬ。そうだ、死んではならない。
私は再び川原の砂利の上に降りた。そして袂や腰巻から、石ころを一つ二つと投げ出してしまった。
金子文子獄中手記『何が私をこうさせたか』より

 芙江の台山を遠望す。金子文子が栗拾いに登った学校の裏山です。後景の丘に近い山
 金子文子里山に登った、登ることで精神の解放を求めた、あるいは自然と接することで、いずれも精神的にも肉体的にも虐待に追われる、祖母の支配する「家」を離れることが大事であった

 獄中手記より
「学校を休んで幾度となく栗拾いに出かけた」
「それよりも独り山に登るのがどんなに楽しいか知れないと思っていた」
「袋は重くなる。足が疲れて来る。私はそこで、持ってきた凡てのものをおっぽり出して、一直線に山のてっぺんにまで駆け上って行く。そしてそこで休む」
 先生が、「あれは山ではない、丘だ」と定義をした事がある位で、この山は決して高い山ではなかったが、それでも位置がいいので頂上に登ると、芙江が眼の下に一目に見える」
「南の方を見る。格好のいい芙容峯が遥か彼方に聳えている。
その裾をめぐって東から西へと、秋の太陽の光線を反射させて銀色に光る白川が、白絹を晒したようにゆったりと流れている。
霞の中にぼかされた静かな村だ。南画に見えるような景色である。」
それをじつと眺めていると、初めて私は、自分がほんとに生れて生きているような気がする」

 芙江は小さな町です。駅から七分も歩くと町はずれになります。
駅近くに散髪店があったので本数が少ない電車を待つ間にカットしてもらいました。シャンプーは無しにしてもらいましたが6,000ウォン。800円程度か。
左側の店です。右側が床屋さんという雰囲気でおじさんがやっているようてした。入った方はウィンドウに「HAIR CUT」と記してあり女性の経営か? 隣同士なので家族かもしれません。