1925年4月27日中浜哲等の公判が始まる、予審決定書の一部を朗読、開廷10分で同志や一般傍聴者を排除し、当局関連の傍聴者だけで調べを進めた。

東京日日新聞 3.8

三越三菱等の重役を脅迫して百、二百、時には数千円ゆすった古田、倉地等の犯行》

■爆弾事件の一味倉地啓示、古田大次郎等の逮捕により元東京深川の自由労働ギロチン社一味が東京大阪を跨にかけて白昼大会社大商店をおそい恐るべき掠奪や恐喝を敢行した事件も暴露した、古田大次郎、倉地啓示並びに。仲喜一は元十五銀行員小西次郎、内田弥太郎、河合康左右、藤野栄吉、仲浜一徹等のギロチン社の過激思想にかぶれ殊に富豪が斯うした急進思想に恐怖しているのを奇禍とし或時は労働ブローカーとなり或時は社会主義を標榜しまづ東京においては三越、三菱、郵船等一流の大会社をおそって重役連を脅迫し百円、二百円、多きは数千円を強請していたが身辺危険と見て取りどこかへ高飛びせんとしていた折柄かの大震災に出会し東京では官憲が主義者掃討に着手したのでここに彼ら等は関西に落ち延び京阪沿線清水村上の辻或いは新川、兵庫県明石遊郭付近に根拠を構え大阪神戸の間を潜行してたくみに悪事を働いたが一行に先だち関西に到着した倉地啓示は関西紡績労働組合に籍を置き労働ブローカーをよそおいまた仲浜は無政府主義者を標榜して横行し間接に会社重役連を畏怖せしめていた

 震え上がった大阪一流の商店 まるで活動写真の様な 高島屋呉服店部長室の光景

■たまたま一昨年七月中旬の某日大阪東区大宝寺高島屋呉服店の部長室の扉をたたくものがあるもので支配人が扉を開くとヘルメットや背広服の紳士体の男数名がドヤドヤと入り来たりうち一名はピストルを擬し他のものは支配人の卓子の上に胃酸の缶を置き爆弾と見せかけ且つはるばる抹殺団員、戦線同盟同人、自由連盟社員というような物凄い名刺を突き付け『玉千円の現金を提供してもらいたい』と切り出し一言二言応酬の折から急を聞いた所轄島之内署では多数の私服を急行せしめたところ時既に一味のものは風を喰らって逃走したあとだったこれは倉地を首領とする労働ブローカーの恐喝談であった越えて十月某日高麗橋三越呉服店にまたも主義者の一団が人ごみにまぎれて入り込み二階にいた刑事上がりの監視人に早くもそれと見破らるるやポケットから短銃を出して同人に擬し監視人も用意の短銃を取り出し階上階下で無言の対戦となりこれを見たお客が色を失って避難するすきに乗じ彼れ等も逃走してしまったがこれは仲喜一の一味であった、その後数日して玉江町の福島紡績会社の重役室に例の怪人連が現れ大鞄を重役の前に投げ出しすごい名刺を突きつけたので重役は現金二千円を差し出して退去を懇請したこともあったこれは古田一派の所業であった斯くて彼れ等一味は同様の手段で大阪市内の目星しい商店や会社を荒しまわり市民の心胆を寒からしめたのであったその後古田、倉地等は大阪を逃走したが残党はたくみに警戒網をくぐって掠奪をほしいままにし一昨年十月十六日十五銀行員殺し等の兇暴な犯罪を犯すに至ったが関係者中五名は同年十一月大阪において逮捕され仲喜一もその後検挙され古田と倉地が最後に捕縛された訳である