1925年5月21日。古田大次郎「獄中ノート」より「裁判所に行く前<午前6時頃>に感想を書く、中浜君も僕も以前から弁護士排斥論者だった、今度は中浜君は、たしかにそれを実行したが、僕は一歩退いて、それを実行できなかった、「僕のヘマから倉地君と新谷君に大変な迷惑をかけたのだから、出来るだけ両君のために弁明して見たい為に外ならぬ。」

「今日は曇天、降りそうだ、まだ呼びに来ぬ」「何だか死刑場に呼び出される気持ちを小さくしたような気持ちがする」<午前7時>
「一日で全部の<東京に於ける全部>の事実調べを済ませて、夕刻帰って来た」
「裁判の感想、和田君の熱弁もうれしかった...感動した、...自分の答弁が案外ヘドモドず、すらすら出来た事、...すっかり満足で出来て愉快だった、沢山の友人諸君が、傍聴席に控えていてくれた事は、うれしかったし、心強くも思った。
淋しかったのは、それは村木君のいないことだ、」