1922年10月27日<大杉栄より伊藤野枝宛書簡「ボルシェヴイキ四十八手裏表」>

 大杉栄より伊藤野枝宛書簡
「きのう予定通り金がはったので、40円だけ送った。春陽堂でまた『相互扶助』の印税がはいったのだ。

……きょうやっと雑誌の編集を全部終った。

……久公といえば、おとといの晩ある会合で、怪しからんうわさを聞いた。それは、僕が静ちゃんとくっつき、とまではいいが、久公が伊藤野枝とくっついたというんだ。そして大森辺(山川均の一派)ではそれを大喜びでいるということだ。どうだ、覚えがあるか。そんな風ないろんな中傷や何かを寄せ集めてこんど

<ボルシェヴイキ四十八手裏表>というのを雑誌の下八段をぶっ通して書いた。……」