1922年10月31日<大杉栄より伊藤野枝宛書簡「執筆状況」>

 大杉栄より伊藤野枝
「おとといは宇都宮から自動車で五里あまりの真岡まで行った。20人ばかりあつまったが、ろくな奴一人いないのでがっかりしてしまった。
 きのう帰ると、留守に来た改造社からの使いがまた来る。12月号の論文を至急書いてくれというのだ。アルスからも叢書(アルス科学知識叢書)や『種の起源』を本年中に出したいと急いで来る。
 大英断をやって、この二週間ばかりの間に大仕事をしようと思ってきょうここ(鵠沼海岸の東屋)へやって来た。仕事の予定は、
<自叙伝>12月号の後半と1月号。
<論文>12月号(11月号には総連合についての、友愛会やボルのコンタンを書いたが、こんどはその理論の方をやる)
<論文>1月号(マルクスバクーニンの喧嘩)
無政府主義者の見たロシア革命>(まとめるのと翻訳のまだ済んでいないのとをやりあげる)
種の起源
<科学知識叢書(二冊)半分やって印刷所へ廻す。……

 30日……きょうは一日外出して、今はこの手紙書き、朝飯がすんだら鎌倉行き、午後には勇夫婦が来るはずだ。>」