『放浪記』あるいは林芙美子のアナキズム

第三部 1930年には発表されていない。(1947年4月から翌年10月まで『日本小説』に連載。1949年1月刊『放浪記第三部』註 数字は新潮文庫旧版の頁)

「いまのところ、私は立派な無政府主義者を自任している。」305
(蒼馬を見たりと云う題をつけて、詩の原稿を持って行く)
「私はころされた大杉栄が好きなのです。」306
上野広小路のビールのイルミネーションが暗い空に泡を吹いている。307
「夜店が賑やかだ。…古本屋の赤い表紙のクロポトキン…」307
十二社の鉛筆工場の水車の音 320
神楽坂に夜店を出しに行く。321
万世橋の駅に行く。323
雨の中を須田町まであるいて、小さいミルクホールへはいる。324

西片町に出る。…根津へ戻って恭次郎さんの家へ行ってみようと思う。337
ダダイズムの詩と云うのが流行っている。」335
高橋新吉はいい詩人だな。岡本潤も素敵にいい詩人だな。壺井繁治が黒いルパシカ姿でうなぎの寝床のような下宿住まい、これも善良ムヒな詩人。蜂みたいなだんだらジャケツを着た萩原恭次郎はフランス風の情熱の詩人。そしてみんなムルイに貧しいのは、私と御同様……。」
根津のゴンゲン様の境内で休む。337

千駄木町へ曲がる角に、小さい時計屋さんがある。恭ちゃんの家の前を通って医専の方へ坂を上ってゆく。338
渋谷の百軒店のウーロン茶をのませる家で、詩の展覧会なり。ドン・ザッキと云う面白い人物にあう。 340
「いろはと云う牛肉店の女中になろうかと思います」346
夜更けて谷中の墓地の方へ散歩をする。351
(同人雑誌『二人』)

団子坂の友谷静栄んの下宿へ行く。352
帰りの坂道で五十里幸太郎さんに遭う。…動坂へ出て千駄木町の方へ歩く。…逢初から一高の方へ抜けてみる。…燕楽軒の横から曲ってみる。菊富士ホテルと云う所を探す。(宇野浩二訪問)

寛永寺坂の途中で、恭次郎さんに逢う。…寒い逢初の方へ降りて行ったる恭次郎さんはいい男だな。あの人は嘘を云わない。だけど、私は恭次郎さんの詩は一向に判らない。355
雪が降る寛永寺坂。登りつめると、うぐいすだにの駅にかかつた陸橋。橋を越して合羽橋へ出て…356
大家さんは宮武骸骨さんと云う人なのだそうだ 369
渋谷へ出て、それから市電で神田へ出てみる…神保町の街通りを見たりして 375
朝の旭町はまるでどろんこの 383
本郷バアでカキフライと、ホワイトライスを一人前 383
今日も南天堂は酔いどれでいっぱい。辻潤の禿頭に口紅がついている。…集まるもの、宮島資夫、五十里幸太郎、片岡鉄兵、渡辺渡、壺井繁治岡本潤 404
帰り、カゴ町の広い草っ原で蛍が飛んでいた。かえり十二時、白山まで長躯して歩いてかえる。405

歩いて根津権現裏の萩原恭次郎のところへ行く。…銀座の滝山町まで歩く…時事新報社407
帰り合羽橋へ抜けて、逢初町の方へ出るところで、辻潤の細君だと云うこじまきよさんに逢う 413


昼近く、読売新聞に行き、…帰り、恭ちゃんのところへ寄る。423
四谷見附から、溜池へ出て、溜池の裏の竜光堂という薬屋の前を通って、豊川いなり前の電車道へ出る。電車道の線路を越して、小間物問屋の横から六本木の通りへ出て、赤坂の連隊が近いのだということで…小学新報社というのが私たちの勤めさき 438
大正天皇は少々気が変でいらっしゃるのだという事だけれども」440
四谷の駅ではとっぷりと暗くなったので、やぶれかぶれで四谷から夜店を見ながら新宿まで歩く。 440
夜霧のなかに、新宿まで続いた夜店の灯火がきらきらと華やいで見える。…大宗寺にはサアカスがかかっていた。…行けども行けども賑やかな夜店のつづき、よくもこんなに売るものがあると思うほどなり。今日は東中野まで歩いて帰るつもりで、一杯八銭の牛丼を屋台で食べる。441

六本木の古本屋で、大杉栄の獄中記と…獄中期はもうぼろぼろなり。444
下谷の根岸に風鈴を買いに行き 453
大久保へ出て、浄水から…新宿まで歩く。…抜け弁天へ出て…余丁町の方へ出て…若松町へ出て…何の為に、こんなとこへまで歩いて来たのかさっぱり判らない。456



ちくま日本文学全集林芙美子」年譜より
1922年 19歳
尾道から上京、雑司ヶ谷に住む、両親の古着の夜店手伝い、職を転々
1923 20歳
関東大震災にあい、尾道に帰る
1924 21歳
単身上京、近松秋江家の女中、「日本詩人」「文芸戦線」などに詩や童話掲載、田辺若男と田端に住む、南天堂に出入り、7月詩誌「二人」創刊
1925 22歳
野村吉哉と渋谷に住む、世田谷太子堂に移り、壺井繁治夫婦の隣に住む、瀬田に移る
1926 23歳
野村と別れ、本郷の平林たい子と同居、12月本郷大和館で手塚緑敏と結婚