《丘の上の家》田山花袋

××の通を野に出ると、××に通ずる大きな路が楢林について曲っていて、向うに野川のうねうねと田圃の中を流れているのが見え、その此方(こちら)の下流には、水車がかかって頻りに動いているのが見えた。地平線は鮮やかに晴れて、武蔵野に特有な林を持った低い丘がそれからそれへと続いて眺められた。私たちは水車の傍の土橋を渡って、茶畑や大根畑に添って歩いた。……
路はだらだらと細くその丘の上へと登って行っていた。斜草地、目もさめるような紅葉、畠の黒い土にくっきりと鮮やかな菊の一叢二叢、青々とした菜畠…
花袋「好い処ですね。君。」
独歩「好いでしょう。丘の上の家──実際われわれ詩を好む青年には持ってこいでしょう。山路君がさがしてくれたんですが、こうして一人で住んでいるのは、理想的ですよ。来る友達は皆な褒めますよ。」
「好い処だ……」
「武蔵野って言う気がするでしょう。月の明るい夜など何とも言われませんよ。」
縁側の前には、葡萄棚があって、斜坂の紅葉や稺樹(わかぎ)を透して、××方面の林だの丘だの水車だのが一目に眺められた。
……
「丘の上の後ろの方には、今と違って、武蔵野の面影を偲ぶに足るような林やら草薮やらが沢山にあった。私は国木田君とよく出かけた。林の中に埋れたようにしてある古池、丘から丘へとつづく路にきこえる荷車の響き、夕日の空に美しくあらわれて見える富士の雪、ガサガサと風になびく萱原薄原(かやはらすすきはら)、野中に一本さびしそうに立っている松、汽車の行く路の上にかかっている橋──そういうところを歩きながら、私たちはどんなに人生を論じ、文芸を論じ、恋を論じ、自然を語ったであろうか。……
…その頃から、国木田君は例の『独歩吟』の中にある詩をつくるようになった。「山林に自由存す」という詩も「遠山雪」という詩も「翁」も「去年の今日」も皆その丘の上の家で出来たのだ。
……紅葉、時雨、こがらし、落葉、朝霧、氷、そういうものが『武蔵野』の中に沢山書いてあるが、それは皆なこの丘の上の家での印象であった。

クイズです。田山花袋による国木田独歩の住まいの描写です。「××」は地名が記されているので入力時に伏せました。この国木田独歩の住まいは何処にあったのか?旧字が□に文字化けしていますがルビを()内に記しています。