1931年10月10日。萩原恭次郎、第二詩集『断片』を渓文社より出版


<断片 1>

乳は石のやうになつて出ない

一かけのパンも食べない子供等にかこまれて

目の前に迫つてゐる敵の顔をじつと見つめてゐる母よ

あなたは涙は出切つた

あなたは別の人になつた

あなたは戦ふ人になつて行く。

  ×

あなたの夫と子息達は

長い間どつかで

死の狂ひの戦ひのため歸つて来ない

熱情と勇気と正義の長い戦ひが

彼等を歸さないのです

だが 彼等は必ずやりとげて

あなたの胸に歸つて来る

深く深く抱かれに歸つて来る

勝利か

死か

あなたは最も愛する者の手を胸を頭を抱いて

最も愛する者の手になれる幾多の報知を受取るでせう

母よ

あなたこそその勝利に涙を噛み血を噛む人だ。

  ×

私達はあなたの子供でなくて何んだ

私達はあなたの愛でなくて何んだ

私達はあなたの闘ひを継ぐものでなくて何んだ

我慢が出来なくて

夫や子息の火と血の中に

一緒になりに

幼い弟妹を背負つてゆく母よ

おお 世界は

この朝 深呼吸と黙礼をする

私達は整列する

私達は辛苦をこらへる歌を歌ふ

私達は押し進む歌を歌ふ

この無数の我等が

母よ あなたの子供でなくて愛でなくて

闘ひを継ぐ者でなくて何んだ。


<詩集『断片』を評す>   萩原朔太郎

 明白に言って、僕は今の詩壇に飽き飽きして居る。どこにも真の創造がなく。どこにも真の情熱がない。若い元気のある連中ですらが、時代の無風帯に巻きこまれて仮眠して居る。……

 こうしたナンセンスの時代に於て、最近僕は一つのがっちりした、稀れに内容の充実した好詩集を見た。即ち萩原恭次郎君の新書『断片』である。最近の詩壇を通じて、僕はこれほどガッシリした、精神のある、本当の詩の書いてある詩集を見たことがない。この詩集に書いてるものは、シイクボーイの気障な流行意匠でもなく、蒸し返した自由詩のぬらぬらした咏嘆でもない。これは一つの沈痛した__その精神の中へ鉄をハガネをねじ込まれた__巨重な人間意志の歪力である。表現を通じて、言葉がその「新しさの仕掛け」を呼んでいる。言語はぶしつけに、ねじまげられて、乱暴に書きなぐられている。しかも力強く、きびきびとして、弾力と緊張とに充たされて居る。すくなくとも詩のスタイルとフォルムの上で、『断片』は一つの新しい創造を啓発した。本来言語に緊張を欠き、ぬらぬらとしてだらしのない現代日本の口語を以て殆どやや過去の文章語に近いほどの弾力と緊張とを示したことで、最初に先ずこの詩集の価値をあげ、恭次郎君の芸術的功績を賞頌せねばならないのである。残りははこちらのサイトで読めます。http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/hagiwara-danpen-sakutaro-sakamoto.html