第一回メーデー。

屋外でのメーデーが一日ずらして五月二日に上野で開催されます。
宣言
吾人は、ここに日本最初の労働祭を挙行す。
一、 吾人は、悪法治安警察法第十七条の撤廃を要求す
一、 吾人は、恐慌来にさいし、失業の防止を要求す
一、 吾人は、人間としての生活を保(証)障する最低賃金法の設定を要求する」
信友会は「八時間労働制」、啓明会は「シベリア即時撤兵」「公費教育の実現」を緊急動議として提案、可決される。

『労働運動』六号二〇年六月一日
〈メエ・デエの記〉近藤憲二
前号に予告して置いた日本最初のメエ・デーは、五月二日、上野に開催された。夜来の雨は名残なく晴れて、新緑の森から流れる風は紅白の幔幕に波を打たせた。
 各労働団体の数十の会旗は樹立せられた。髑髏に『死? 自由?』と書いた友愛会芝浦支部旗や、拳骨から鮮血の滴る旗印は快い凄味を見せてゐた。
 その後、三ヶ所に自由演壇を開設して、数十の労働者が、資本家攻撃の演説に声を嗄らした。
 三時三十分『労働者万歳』の三唱で閉会したが、四千の労働者は、期せず隊を成して山を下った。数百の警官は之を制止せんとしてあせり立つた。労働者は幾度か其の警戒線を突破した。旈旗の争奪戦が始つた。旗を破られ竿を折られた会旗も数本あつた。『会旗を汚す者は葬れ』との叫びは各所に聞こえた。
 店の窓硝子は破れとんだ。巡査が溝へ落つこつた。この衝突は萬世橋まで続けられた。
 日本最初のメエ・デエは斯くして済んだ、労働者の威力と意気は、斯くして示された。次のメイデエには、単に東京市のみでなく、全国各地に亙つて、労働者の威力を示したいものだ。