金子文子のメーデー。

一九二三年五月 金子文子メーデーの集会、デモを闘う
「……メーデーの日、私は他四五名の同志と共に……愛宕署の御厄介になって……一夜を明かした……」『現社会』第四号六月三〇日
《今年のメーデー》                金子 ふみ子
 二三日前から検束に次ぐに又検束其の数二百とは、特に寛大さを声明した其の筋の宣伝であつて実は五百名近くと聞きます。
 五百名! 斯くも多数なる戦闘分子を引き抜かれた当日の示威運動が一昨年よりも比較的活気が抜けた様に見えたのも又事実です、而し表面に現はれた此の事実は決して我々の戦闘気分が鈍つたのではなく、寧ろ我々の血がますます白熱化して、奴等をして謂ゆる寛大さをにほわせるだけの餘祐を輿へなかつたためだと思ひます。
 略
 旗をもぎ取られた其の時! 口を緘せられた其の時! 其の時こそは我々はいさぎよく、ダイナマイトに最後の運動を打ち切ることが出来ると信じます。
 朝鮮内地に於ける鮮人の同志の勇敢なる思ひ切ツた運動振りを見せツけられて、ますます此の感を深ふします。