1925年9月15日古田大次郎「獄中手記」

近頃、死ぬ時は夕方であつて欲しいと思ふやうになつた。以前は朝の中にと思つたのだが。葬る時も夕方がいゝ。墓は夕陽がよくあたるやうにして欲しい。
 岩佐君が来て、是非妹達に会つて行けと言ふ。僕もさう考へてゐた所だから、遂に会ふ事に決めた。
布施さんから、大阪の河合君の手紙を見せて貰つたが、実際如何なに皆が淋しかつたか充分想像がつく。若し僕がさうした境涯におかれたら……。考へるだけでも恐い。
 今迄安閑としてたのが、本統に皆に済まなくなる。でもよく辛棒してくれた。
山崎弁護士。加藤一夫氏に面会。
 山崎さんから、弁護人控訴を起さうとした理由をよく聞いた。特に質問した訳ではなく、話が自然そこに向いて行つたのだ。山崎さんの真意は始めて解つた。解ると今迄控訴なんて詰らぬ真似すると怒つてたのが済まなくなる。
 山崎さんの意見はかうだ。君達に対する検事の態度がまだハツキリしてゐない。十七日で控訴期間が切れるが、その日の晩にでも、不意打ちに検事控訴でも食つたら如何するか?
 勿論君の死刑に対しては控訴のしやうもない。だからあるとすれば無期の和田君と十二年の倉地君の二人に対してだ。
 さうなつた場合、君は如何するか? こゝに考へねばならぬ事は和田君の気持だ。和田君は同じ監獄にゐて、君の殺されるのを見るに忍びぬと言ふ。(この和田君の言葉はほんとうにうれしいと思ふ。)それに君も出来るなら、和田君と一緒に死にたい希望もあり、又最後迄和田君と袂れたくないと思つてもゐる。だから若し今のまゝで検事の不意打を食つたら、それこそ和田君も苦しまねばならぬし、君も本意ない袂れをしなければならなくなる。しかし今、弁護人からでも控訴をしておけばさうした憂ひは全然失くなるのだ。
 或度、僕は一考せざるを得なくなつた。今迄は検事の控訴が最早絶対にないものとして万事を取計つて来た。その前提がグラつき出したのだから、大事だ。
 だが、如何考へても控訴といふ事はしたくない。したくないがしないでゐると、事に依つたら大事になる。とりかへしのつかぬ大事になる。で、山崎さんとも相談して、明日検事の意嚮を弁護士諸君から聞いて貰ふ事にした。する、しないはそれを聞いた上で決める。和田君は僕が決めるのを待つてゐるし、僕は僕で和田君が決めてくれるのを待つてゐる。しかし答えを先にしやすい立場にゐるのは僕だらう。
 花には散り時がある、人には死に時がある。僕の一番好い死に時は今だ。それは誰でもが認めてくれてる。
 それ計りではない。もう僕は歳を取るのが厭でならぬのだ。一年長生きして二十六になつたのが残念でならぬのに、又一年延ばされては堪つたものぢアない。
 如何考へても控訴は、真平だ。検事が助けると思つて僕をこのまゝすぐ殺してくれゝばいゝ。それ計り祈つてる。