1926年3月26日。飯田徳太郎、母親、不逞社の同志、市ヶ谷刑務所に朴烈、金子文子に面会に行く  

「朴烈と文子とに死刑の宣告のあった翌日、三月二十六日の正午頃、僕は市ヶ谷刑務所の面会人控室横手の、砂利を敷きつめた庭で、暖かい陽光を浴びながら、同じく朴烈や文子に面会に来た七八人の人々と雑談を交えて居た。中西伊之助君の婦人と僕を除いた外は皆朝鮮人ばかりであった。李王世子殿下暗殺未遂事件の徐相漢、曩に朴烈と一緒に拘引された張詳重、韓けん相、鄭泰成等もその中に居た。僕は主に中西夫人と知人の噂話をしていた。……」

飯田徳太郎「金子文子に会いに上京した母親」

以下のURLは『朝鮮日報』日本語サイトの特集記事
「大韓国人」安重根の思い
http://www.chosunonline.com/article/20080316000002
標石さえもない伊藤博文暗殺現場
http://www.chosunonline.com/article/20080316000007
http://www.chosunonline.com/article/20080316000008