2006-01-01から1年間の記事一覧

1919年12月3日。大杉栄、京橋区数寄屋橋、笹屋に於て開催の故荒川義英追悼会に出席

茅野市から甲府市へ。「湯村の杜・竹中英太郎記念館」二度目。展覧会に関して、週間『金曜日』の情報コラム欄に掲載。「やまなし金子文子研究会」例会。夜に東京に戻る。

長野茅野市。雪を体験。

1914年12月1日。大杉栄、シンヂカリズム研究会に参加。

「大杉は佛国に於ける労働取引所及労働総同盟に関する講話を試みる」

転載、明日緊急集会。

共謀罪審議入りの危機です。緊急集会を12月1日(金)に開きま す。重複投稿ご容赦ください。転送歓迎/定期購読募集中! ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ □ □ 共謀罪を廃案に! □ ___________________________ □ メルマガ 10号 …

1910年11月29日。大杉栄、東京監獄より満期出獄

久々の休日。

新山初代の墓碑がある寺を訪問。谷中を歩く。

[アナキズム運動史]1923年11月27日。新山初代、病気で出獄、芝、協調会病院で死去。

[情報]転載「◆11/28 衆議院議員面会所 ───────────

共謀罪の審議入り・強行採決を許さない! 緊急議面集会 http://tochoho.jca.apc.org/evx/event20061128.html ─────────────────────── とき:11月28日(火)12:00〜13:00 ところ:衆議院議員面会所 ○東京メトロ有楽町線南北線永田町駅・千代田線丸の内線国会…

1924年11月25日。和田久太郎君らの接見禁止解除。『労働運動』7号1925年1月1日「消息」に掲載。

原稿書きで一日自宅に居ます。

午後まで仕事、参加をしたい集会もあったが締切をすでに過ぎている原稿書きもあったので自宅でまとめ。第一次分を夕方に送信。

1938年11月22日。萩原恭次郎、病死。午前零時15分、溶血性貧血(胃病)にて死亡。享年40。翌23日葬儀。萩原恭次郎

http://www.paperbomb.jp/にアクセスをして他の文書もお読みください。署名にご協力ください。

<言論無罪・出版有理> http://www.paperbomb.jp/

よりこれが私たちの標語です。支援する会に多数の結集を要請するものであります。 2006年7月4日の神戸地裁での不当判決を不服として大阪高裁に控訴しましたが、控訴趣旨が認められ来る12月7日に第一回控訴審が開かれることとなりました。支援会としても言論…

メルマガより部分。共謀罪を廃案に!

□ ___________________________ □ メルマガ 8号 2006年11月19日 □ 発行:盗聴法(組織的犯罪対策法)に反対する市民連絡会 □ mlmag-kyoubou@alt-movements.org ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ▽定期購読のお申込みはこちらから …

span style="color:#FFCC33;">1922年11月20日。大杉栄にフランスのアナキストから国際大会への招請状届く。参考、執筆テキストより。『トスキナア』掲載。「彼(小松)は、パリのタンプル通りのレストランで開催されたアナキストの秘密集会に出席し、フランス・アナキスト同盟の代表であるコルメール(同書でのコロメルの表記)とバーのスタンドで立ち話をしたことがあった。新たに国際アナキスト同盟が組織されることになった、来春にはベルリンで国際大会が開催される予定だ、ついては日本に適当な代表者はい

1912年11月20日。大杉栄によるコメント。『近代思想』<大久保より> 「今日はミカドのお帰り遊ばす日、半日検束」『近代思想12月号

井家上隆幸さんに依頼され、大杉栄を中心としたクロニクルを軸に、さる講座にて話をする。

トスキナア講座開かれる。終了後、根津から谷中へ移動。

多摩にある法政大学大原社研の図書館に行き、韓国の委員会の人たちの調査をサポートする予定を急きょ変更。生活支援を受け、食道静脈瘤の手術を受けて退院した知人の件で支援課の担当者も含めて面談をすることになった。初めての場所で行きは少し迷いながら自転車をとばして50分、帰りは43分の往復。

昨日、15日に再び韓国の「委員会」のメンバーと懇談。調査における資料提供と調査の方法に関してがテーマ。

「出町柳」駅に戻り、駐輪場に預けていた自転車に乗り、夕方から「哲学の道」にあるカフェ・テラッツアへコーヒーを飲みに行きました。宿までの道筋から少し余分に回るだけ。法然院の入り口近くです。谷崎潤一郎に縁がある方が初代オーナー。店内に書棚があり高橋和己全集、池田浩士さんの著作も並んでいました。

魚谷山・いおだに山は静かな山でした。沢筋に入ると踏跡は半分ほど消え、トレイルを辿るのに若干迷いました。沢の右岸、左岸と渡渉を繰り返すのでトレイルはつながっていません。

魚谷山への計画。出町柳から京都バス、9時35分発、岩屋橋下車。標高816m、コースタイム4時間半。帰りのバス。岩屋橋発、出町柳行き、3時半、6時半。

京都三日目。北山を歩く予定。標高500mから900m前後。コースタイム二時間半から4時間。

京都、二日目。午前は宿泊所でのんびりと過ごす。11時から某大学に向かい、所蔵文献の確認。午後は、知人が開店したカレーハウスのある南部に向かう。宿泊所に戻り自転車にて外出。河原のトレイルを走る。6時過ころ、懇談会の場所に早く着く。

1910年11月12日幸徳秋水らへの大逆事件。エマ・ゴールドマン、ヒッポリート・ハベルら5名のアナキスト・自由思想家が駐米全権大使内田康哉あてに講義文を送る、これを機に全米、ヨーロッパにおいて抗議行動が広がる。

京都にて、鶴見俊輔さんの講演を聴く。ヘレン・ケラーと10代にて会うエピソード。「アン・ラーニング」学びを解きほぐす、ということを教わると、鶴見さんの談。

京都市内、某寺院にて、他に俳優の近藤正臣さんの参加、コメントもあり。京都には早朝5時半に着く。午前中は同志社にてシンポ。午後から某集まりに参加。