「二十六日夜半」金子文子

其の或る点とは他でもない。私が予審廷での自身の陳述の一部を今日公判廷で覆した箇所です。が其れに先立って云って置きたい事は、前に言った言葉も私自身の言葉であり、今云ふ言葉も私自身の言葉である。が而も其の二つの言葉は異って居る。だが其れは共に私自身の監視の下に私自身の自由意志をもって云はれる言葉であって、其処に今まで私を調べたお役人などの意志の強制などが加へられてない事を、弁護人諸氏の前に明らかにしときます。そして私自身は其の曰の消息を明らかにする事によって自分が他人の意志などに左右される意久地なしではない、私はちゃんと私自身の意志をもってるのだと云ふ事を宣言しときます。

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 其処で私は今日申した通り自分が何主義だか何思想だか知らない。私が知って居る事は「自分は斯ふ思って居る」と云ふだけ。しかし若し此処までの私の考え方に便宜上ちょっと客観的に断定を下して置いて見るなら、私は多分個人主義無政府主義者と呼んで差し支へなからうと思ひます。何となれば説明するまでもなく、国家と個人とは相容れない二つの存在である。国家の繁栄の為には個人は自分の意志をもってはならない。個人が自身に目覚める時、国家は倒れる。無論私は内から燃え上がる秩序からなる秩序、否其の秩序以外に、国家だの政府だのの干渉をお断りしたいのです。

〈自分は今斯うやりたいから斯ふやる〉これが、私にとって自分の行為を律すべく唯一つの法則であり命令です。もっと判り易く云ふと、私の行為の凡ては〈私自身さふしたいからさふする〉と云ふ丈の事であって、他人に対しては〈さふせねばならん〉とも〈さふあるべきだ〉とも云ひません。私は思ふんです。私が私自身の事を考へ、私自身の道を歩む為に、私自身の頭と足とを持ってるやうに、他人も亦自分の頭と足とをもってる=つまり、私は、自主自治─凡ての人が自分の生活の主となって自分の生活を正しく治める処に、かすかながら私の好きな社会の幻を描いて見る気にもなるのです。

 私が、自分の行為に要求する凡ては自分から出でて、自分に帰る。つまり、ピンからキリまで自分の為で、自分を標準とする。従って私が〈正しい〉と云ふ言葉を使ふ時、其れは完全に〈自律的〉な意味に於てである事を断はっときます。

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私は只斯ふ云ふ丈です。

『昨日自分は斯ふ思ふって居た。だが、今日自分は斯ふ思ふやうになった。自分は自分によりしっかりと合った道を見出した。だから自分は今、其の新しい道へと胸を張って突き進んで行かうとするのだ』とね。

つまり、私は、立ち止って自分の足跡を振り返って其の時其の足跡の一つ々々が、自己意識のクライマックスを示す烙印である事を、自分に対する唯一の義務だ、と思ってるのです。で、私は、自分の考へて居る事は、何処までも頭の及ぶ限り疑います。疑はうとして居ます。其れは自分の為です。

其処で事件の方へ戻ります──

昨日も話したやうに、私は、自分の信念を実行すべく、金翰兄との間に爆弾入手の交渉をした。が而し、金翰兄の方の手違ひで駄目になった。其の時、いろいろな爆弾の写真を見て、私は、腕を挟んで狭い部屋の中をあっちこっちと歩き廻りながら考えへた。

『私は確にあゝした計画をした。だが、其れは、単に権力への叛逆てふ心地好い想像に、謂はば幻惑された為ではならうか? 若し今此の私の目の前に爆弾があったとしたら、私はどうしたらう? 私は自分以外の何ものにも囚はれてはならん。私の求めるのは自分に於ける真だ。私はしっかり考へなくちゃならない』──と。

 ちよっと断っときますが、これは私の今の考へではない。其の当時、つまり、私がはたちの一二月頃の考へなのです。

 其処で、今日、上村弁護士が其の心の状態が其の後どの位続いたか、とお訊ねでしたが、而し、私にあって其の心に決定を促すべく機会をもたなんだ為に其の点に就いてはシカと記憶して居ません。

其れで、私は此の事件が発覚して後気がついたのです。私は、自分に疑ひをもった其の時、何処までも自分を追求すべきであった。そしたら私は多分朴との間に隔たりを見たらう。朴と私とは一緒に居た。だが、其れは二人の生活ではない。一人と一人との生活である。どんな個性にも他の個性を吸収して了ふ権利はない。朴が朴の道を歩むやうに、私も亦私の道を歩む。自分の世界にあっては自分が絶対だ。私が自分の道を、誰にも邪魔されず、真っすぐに歩みつづける為には私は独りになるべきだったのだ、と。

 これは、私の事ですが、一方朴はちっとも変って居ない。其の為に金重漢兄に又あーした話をした、処が忌憚なく云へば、其の人選を誤ったが為に、私共は斯ふなった。が而し、其の時朴は私に相談しなんだ。全く自分の独断でやった。で、つまり私にして外の事情から見れば、全く他人の過失の犠牲になる訳だ。がさふと知りつつも、金翰兄との交渉や、尚私自身を省みてさふした計画を生む思想をもって居るが故に、犠牲たらうとして居る自分を救い出す事も出来ない。

 と云った処で、ちょっとお断りしときますが、私は朴を信頼して居た。今でも信頼して居る。ちっとも変って居ない。で若し其の時朴が私に金重漢兄との事を相談したと仮定して、私が果して反対したかどうか疑問だ。いや怖らく信頼して任せたらう。此の点特に弁護人諸氏に対して、私の云はうとして居る気もちへの理解を望みます。即ち、私は自分が斯く失敗した事に就いて、彼是悔ゆるのではありません。只、其の失敗が自分の意志に基く失敗でなかった事を、自分の前に限りなく恥じるのです。謂ゆる『犠牲』を蔑みつつ、而も私自身『犠牲になるのだ』と云ふ程の自覚さへなしに犠牲になる事が堪らなく恥ずかしいのです。今まで私が黙って居た事を斯ふして突然ぶちまけるのは、全くさふした気もちからで、私自身偽ったまゝ終るのが苦しかったからです。そして、此の事は、むしろ自分に対しての告白です。

 私は今まで、此の事を誰にも黙って居た。お役人に対しても、此の点のみ、ずっと嘘を云ひ通した。其れは昨日もお話した通り。余程私の思想や性格を理解した人でないと、私の云ふ事を正しく解釈し得ない。其れとも一つは、繰り返しますが、其の事を考へる度に、私はいつもイプセンの人形の家のヘルマンを思い出した。即ち、朴が私にさふした事を相談しなかったと云ふ事に就いて、私が後になって朴を責めるのは、実は相談されなかった事を責めるのではなく、其の結果自分の思惑に外れた事を責めやうとして居るのだ。何となれば、私は自分に問ふて見やう。朴が自分の意志を以って二人の事をした。其の結果がテッキリ私の思ふ通りに運んで、而して成就したと仮定する。其の時私は果して朴に対して其の事を予め私に相談しなかった事を責めたらうか─と。ノオノオ。私はアベコベに悦んだらう。斯ふ考へて来ると、私は朴に堪らなく済まない気がし、時に、自分のケチなみすぼらしいエゴイスティックな気もちが恥かしくなる。そして又、朴自身の立場に自分を置いて考へて見る。して思ふ。誰が失敗を予想しやう。凡てはやるべくやったのだ。結果は全く偶然に過ぎん。どんな事でも、失敗した後から見れば、みな莫迦げて見えるものなのだ。…………

 此処でちょっと今日の布施、上村二氏に私からお答へしたいのですが、金翰兄と私共との関係が余りにも漠としてゐると云うはれた。而し、だが私自身を振り返って見た時、さふ誰でも彼でもがもちさふな考へから行動しやうとしたのではなかったつもりだ。失敗したと云ふ此の事実は、其処に失敗すべき何かが有った事を私自身認めずには居れない。此の失敗てふ結果の前に、私は何も弁解したくありません─と。

 其処で金重漢兄との交渉に於ける私の立場は以上の通りで、して当の朴に対してはさう云ふ風に考へてゐるのですが、而し、知らない事は何処までも知らない。何時でも私は自分自身を正しく生かさねばならん。此の事件が大審院に廻されるらしい事を知った時、私はずい分悶えました。約一ヶ月ばかり御飯もろくろく咽喉を通らず皆から痩せたと云はれる程苦しみました。

 私は若いのです。私の身内には過去の苦しい境遇に鍛へ上げられた力強い生命が高鳴って居る。私は、自分の意志なき失敗の犠牲などにはなりたくない。よし其れが著しく失敗に終らうとも、兎も角私は自分の力を試して見たい。手足をぐんと伸ばして見たい。

 で、私は思ったのです。私が私自身を自分の手に取り戻す為には、現在の立場から脱け出さねばならん。形の上に自由な体にならねばならん。其れで、私は、或る時など、お役人の前に改悛の意を表して、如何なる屈辱にも忍んで、なるべく早く出られる工夫をして見やう、と思った事さへあったのです。私の後に同志と云はれる人たちが沢山ついて居ります。親とか親類とか云ふ人たちさへ手紙一本寄越さない私の足かけ四年の囹圄の生活を経済的に又精神的に支へて居てくれたのは全く此の同志たちなのです。同志とは文字通り志を同じふする人たちと云ふ事です。で、私が、さふした態度を執ったなら、同志は皆私に背を向けるでせう。而し、私にとっては、百人の同志より一人の自分の方が大事ですし、敵からも味方からも捨てられて、よし監獄の門を跨いだ刹那に自殺をしやうとも、私は、今の自分を獲得する必要があるのだ。ノラは人形の家を捨てた。其れだけで好いんだ。……私は、其の時、さふ思ったのです。

 お役人さん、及び弁護人諸氏、私は此のおしゃべりの最初で、理想そのものを否定する。そして自分の上に「斯ふせねばならぬ」など云ふヒチ面倒な謂ゆる「使命」なんかは認めない。私の行為の法則は『自分は今斯ふしたいから斯ふする』の一言に尽きる。即ち、私は、自分の行為の凡てを等しき値ひに於て認めるのです。

 斯ふ云へば、もう後は云はずともお判りだらうとと思ひます。つまり、私は、曽て自分を疑ふた。そして其の時自分は独りになるべきであった、と後に気がついた。そして其の為にお役人に頭を下げやうか、とも思ふて見たが、到頭下げなんだ。而し、其れ等は凡て、さふしたとしても、私にとっては当たり前の事であり、さふしなかったとしても、やはり私に於て当り前の事なんだ。皆さん。お判りですか──。

 私は最後に云ひます。私は外の事情から云へば犠牲になるのだ。私は決して其の事実に眼を反らしもせねば、体の好い瞞かしもしない。私は大胆に其れを肯定する。が而し、私は今、其の事をかなしみもせねば、悔ひもしない。私は至極穏な気もちで、自分の凡てを肯定し、而して自分の凡てを否定して居る。

 も一つ、私が過去に於て、又現在に於て、大逆の名を以って呼ばるべき思想をもって居た。又もって居る。そして其れを実行しやうとした事もある。尚、自分のさふした言動に、反省する余地はない、他人に対しては言ふまでもなく、自分自身に対してすら。──其の事を此処で改めて言っときます。

 其処でかふした私の態度に発せられたと憶える昨日の上村氏のご質問に対し、徹底的に答へて置きます。上村氏は私が『もうどうせ此処まで来たのなら』と云ふ風な気もちでお役人の訊問に応じた事はよかったかとのお訊ねでしたが、其の先がちと曖昧だった。『もうどうせ此処まで来たのならエラク見えるやうにやってやれ』と云ふのか、又は『もうどうせ此処まで来たのなら、面倒臭い、ギロチンまで行ってちまへ』と云ふのだか。で其の二つ共に答へます。

 私は決して自分が売名欲をもって居ないとは言ひません。いな、タップリもってるでせう。而し、お役人の訊問に対する時、さふした気もちに動かされて答へた事は、まず無いやうな気がします。

 其れから第二の意味に就いては、斯ふお答へしませう。大して生に興味をもって居ない私の事です。或はさふした気もちに動かされた事が有るかも知れん。而し、いくら強がっても私はやっぱり生きているのだ。で、或はなかったかも知れん。が何にしても、私は其の時、自分がさふ云ふ事を欲したからさふ云ったのだ。つまり云ふべくして云ったのだ。で、よしんば其れがエラク見せようと云ふ幼稚な虚栄からであったとしても、又は強がりの痩せ我慢からであったとしても、私は其の事に就いて誰にも義務は負はない。私は只、私自身に質して見さへすれば其れで好いのだ。

 弁護人諸氏、私は斯く歌ひ、斯く踊ります。其れに就いての御判断は全く諸氏の御自由です。

 〆

 これで私のヨふは終ひです。

 処で、書記さんは私の利益の為にこれを書いて欲しい、と云はれた御要求のやう、伝へ聞きましたが、其れに応じた私は決して裁判所に対して自分の謂ゆる利益を主張する為に書いたのではありません。

 現に此処に監獄のお役人を前に置いて私は云ひます──。

私は朴を知って居る。朴を愛して居る。彼に於ける凡ての過失と凡ての欠点とを越えて、私は朴を愛する。私は今、朴が私の上に及ぼした過誤の凡てを無条件に認める。そして外の仲間に対しては云はふ。私は此の事件が莫迦げて見えるのなら、どうか二人を嗤ってくれ。其れは二人の事なのだ。そしてお役人に対しては云はう。どうか二人を一緒にギロチンに投り上げてくれ。朴と共に死ぬるなら、私は満足しやう。して朴には云はう。よしんばお役人の宣告が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせては置かないつもりです。──と。