1926年2月26日金子文子、朴烈の大審院公判が始まる。

 金子文子はその日の夜、公判で主張した内容を整理し執筆する。翌27日の公判において読み上げ、書面として提出。
<二十六日夜半> 金子文子
「昨日云った或る点に就いて、其の意味がよく解り兼ねるから改めて書いて来て欲しい、と云ふ風な注文を書記さんから受けました。私自身が今日の形勢で、私の気もちがお役人には云ふまでもなく、肝心の弁護人諸氏にさへよくは解って居ないらしいと思へましたので、理解されるされんはどうでも構はんとして、私自身云ふだけは云って置きたいと思ひ、疲れる体でペンを執ります。」