金子文子・朴烈大審院判決 部分

理由 両者の略一致せる極端なる思想は輒滋々高潮して其の理想を実現せしむる為具体的計画を樹つるに至れり大正十二年の秋頃挙行あらせらるる趣に伝えられたる 皇太子殿下の御婚儀の時を機として至尊の行幸又は 皇儲の行啓を便宜の途に擁し鹵簿に対し爆弾を投擲して危害を加へ奉らむことを謀議し其の企画遂行の用に供する爆弾を入手せむが為被告文子と協議の上被告準植は大正十一年十一月頃朝鮮京城府に赴き当時義烈団と画策せる朝鮮人金翰と同府観水洞四十七番地なる其の住居に於て会見し爆弾の分与を申し込み其の約諾を得、越て大正十二年五月亦被告文子と協議の上被告準植は東京市本郷区湯島天神町一丁目三十一番地下宿業金城館其の他に於て、数次無政府主義者金重漢と会合し前示義烈団と連絡して上海より爆弾を輸入せしむことを委嘱し、其の承諾を得たるも之を入手するに至らざりしものなり証拠を案ずるに以上の実中被告朴準植に於て金重漢は義烈団と連絡を取ることを承諾せるのみこして爆弾輸入に付承諾せるに非ずと否認し被告金子文子に於ては金重漢に対する依嘱に関与せずと否認する外前示犯罪事実は総て各被告の当公廷に於て認むる所なるのならず本件犯罪及其の原因、動機に付ては左に挙示する所に拠りて其の証憑十分なりとす
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大正十五年三月二十五日

  大審院第一特別刑事部 裁判長判事